茨城県石岡市柿岡4123(高友)
古墳と小初瀬川
高友城(高友古塁)
丸山古墳は恋瀬川上流の高友橋(石岡市柿岡高友)から少し小高い林の中の景勝地にあって、全長約55メートル、高さ7メートルの前方後方墳で,第10代崇神天皇の第1皇子豊城入彦命の奥津城と伝えられています。
昭和27年12月、明治大学教授後藤守一博士の指導のもと、発掘調査が進められ、4世紀末~5世紀にかけて築かれた墳墓と考えられています。また、この時匂玉や鉄刀など多くの副葬品が発見され昭和42年11月、県指定文化財・・考古資料に指定されています。丸山古墳は周囲の堀が当時のままきれいに残されています。
隣り合う二子塚古墳をはじめ佐自塚古墳など約30基の古墳で丸山古墳群が構成されています。
丸山古墳は昭和27年12月茨城県指定文化財(史跡)に指定されています。
◆佐志能神社
古墳の並びには佐志能神社があり、祭神は豊城入彦命、日本武尊、彦狭島尊の三柱で、境内神社に浅間神社(木花開耶姫命)があります。由緒沿革として崇神天皇の第1皇子豊城入彦命、四道将軍として東国鎮撫の大任中薨去。丸山古墳はその陵墓という。社殿は藤原藤房の奉献と伝う。(茨城県神社誌)
◆恋瀬川
丸山古墳の前には恋瀬川が流れています。この辺の恋瀬川は高友川と呼ばれていた時期もありまた、いにしえは小初瀬川と云われていたという文書も存在するようです。弘安3年(1280)8月8日平某の花押とあり(八郷町誌)当時、筑波山と八郷盆地を小さい奈良盆地と見立てると、奈良の初瀬川や丸山古墳、八郷の足尾神社などのつながりや延喜式社の解明できると面白いとおもいます。
◆高友城(高友古塁)
丸山古墳を含む森の高台はむかし、高友城(高友古塁)が有ったと伝わっている。
丸山古墳 石岡市柿岡高友
丸山古墳 石岡市柿岡高友 20/Jan/2007
丸山古墳 石岡市柿岡高友 20/Jan/2007
丸山古墳 石岡市柿岡高友 20/Jan/2007
丸山古墳 スダジイの古木 20/Jan/2007
丸山古墳の堀 石岡市柿岡高友 20/Jan/2007
丸山古墳の堀 石岡市柿岡高友 20/Jan/2007
丸山古墳の堀 石岡市柿岡高友 20/Jan/2007
案内板
万葉歌碑 庭に立つ麻手刈り干し布さらす東女を忘れ給うな
案内板
古墳付近の道路
古墳付近の道路
古墳から筑波山
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