日本の里やさと(八郷)・石岡市

日本の里100選に選ばれた八郷(やさと)

こんにちは mizukusa kasumigaura です。
やさとの里山、自然、歴史はすばらしいものが多くあります。生活の近代化に慣れた私達には、心になにか物足りなさを感じませんか。むかしからのふるさとの自然を筑波山や加波山の周辺のなかで、心に沁みる多くを感じることができました。山と源流とさとのある風景。最近の写真と以前の写真とを公開します。by mizukusa kasumigaura
Yasato was selected as one of Japan's best 100 villages.

  

2011年2月4日金曜日

篤誉上人と八郷の伝説

《篤誉上人と八郷の伝説》石岡市須釜
八郷(やさと)小幡の近くに須釜(すがま)という集落があります。柿岡から旧道で、八郷の富士山の横を通り、湯袋峠経由筑波山方面へ向かう途中フルーツラインの手前に石岡市須釜があります。この辻に二十三夜尊などの旧い石碑が並んだ一角があります。そのすぐ傍ににやや大きい篤誉上人と書かれた石碑があります。石からすぐ判読できるのは「篤誉」という文字ですが以前から心にとめていました。旧い八郷町誌によりますと、江戸時代の後期、集落の近くに老僧が庵を結び布教しました。僧は篤誉上人と呼ばれ、多くの人々の悩みを聞き、重篤の病人も祈祷をするとすぐ快方へ向かいました。万が一助からなかった時も手厚く葬りました。老僧はそばが大好物で村人のお布施のそばをよろこんで食べていました。しかし、時折お布施のそばを手にしないことがありました。ひとが理由を尋ねると僧は黙ってそばを切って見せました。そばの切り口は血がにじんだように赤く染みて見えました。僧は無言でいましたが、その者が驚き、しつこく問うと「ひとに邪念があるとこのような結果になる。心を清く持ち仏心を得なさい」とさとしました。人びとは驚き、篤誉上人の教えに耳を傾け信心に徹しました。上人の教えを受けたものはみな、幸せに暮せたそうです。上人はひとびとの幸せを見届けると庵からまた、突然姿を消しました。そのあと、人びとが篤誉上人の碑を建てて供養したそうです。
そばの赤いところを血に見立てたむかし話がほかにもあったような気がします。
右端が篤誉上人の碑
石岡市須釜
交差点はフルーツライン
近くからの筑波山
諏訪神社 石岡市須釜
フルーツライン交差点(稲荷山付近)この先は小幡


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